[ヒトの大進化に見る現実的進化]
ハードウェア進化とソフトウェア進化が悠久の時間を要した準備段階であったのに対し、最終段階となる現実的進化は、最後の遺伝子スイッチが働いて既に完成している潜在能力を一気に現実化する事象であり、時間的には一瞬に過ぎない。けれども目に見える現象としては、その一瞬の出来事が即ちグールドが認めた飛躍的大進化という大事件の全てなのである。さらに言えば、その大事件の中でも最後の大事件が我々人類の飛躍的出現であるのだから、科学編の最終節となる本節では、その問題を中心として語っていきたい。
良く知られているように、ヒトとチンパンジーのDNAは一%しか違わず、この一%の中に人類進化の秘密はある。この部分には新しい遺伝子があるわけではなく、ヒトとなるための遺伝子スイッチが存在するということが明らかになりつつある。K・S・ポラードの研究によれば、ヒトとチンパンジーの間で最も大きく異なっている部分HAR1は、主に大脳皮質の皺を増やすための遺伝子スイッチで、二番目に大きく異なっている部分HAR2は、人間独自の器用な手を作り出す遺伝子スイッチである。さらにHAR49までリストアップされており、このような遺伝子スイッチの進化によってサルからヒトになれたと考えられる。
ヒトの直接の先祖であった原人のDNAは調べようがないが、チンパンジーよりさらにヒトに近いことは確かで、あとたった一つの遺伝子スイッチが完成すればヒトになれるほどのものであったと想像できる。実際、それ以外のシナリオは有り得ないだろう。そして原人のDNAの中の上記一%の領域の中でHAR1~HAR49が完成した後、最後にそれらをまとめてオンにした大元締めの遺伝子スイッチΩを想定することができる。そのΩが完成し、ある原人の胎児の中で働き出した時、それが人類の誕生であったということになる。
交配不可能な別種の子供が生まれたら結婚相手がいないという大問題については、Ωは劣性であったと考えれば良い。すると一代目の子供は全員(片親だけからΩを受け継いだ)ヘテロ接合なのでまだΩが働かず原人のままであるが、次世代以降の一組以上の夫婦で偶然ホモ接合となった(つまり、両親からΩを受け継いだ)子供が同時多発的に生まれれば、その子供達だけスイッチが入ってヒトとなることができる。こうして初めから原人とは交配不可能なヒトとなった複数の子供達が生まれれば、彼らは自然に疎外されて別社会を形成せざるを得ない。そして、自発的に新しい環境への出エジプトが起きるのである。
ネアンデルタール人が我々と同じ種かどうかは分からないが、交雑可能であったとするなら同種とすべきだろう。これ以上のことは将来の研究に俟つしかない。ここからは哲学編に入る準備として、人間とは何か?という問題に入って行きたい。そもそも進化論とは、結局のところ人間とは進化したサルに過ぎないのか、それとも動物を超越した別次元の霊的存在であるのかという人間観の確立を懸けた哲学に関わる話だからである。今まで使って来た「ヒト」という呼称は進化論の文脈の中での慣習による。しかし「ヒトは動物に過ぎない」というダーウィニズム的偏見も含意されるので、以後は使わないことにする。
ダーウィニズムが全く無視してきた問題は、人類の進化は精神世界の獲得という極めて大きな飛躍を伴う、ということである。この「精神世界」とは何であるのか、それは大脳の機能に過ぎないと言って良いのか?これが大問題である。それが大脳の機能に過ぎないのであれば、やがてAIが進化すれば人間と同じ精神を持ち、それどころか人間を遥かに凌駕する知能を持った神となる、というAI信仰が正しいということになるし、そのAIに人間は不要と判断されれば、人類絶滅の可能性もある。そのようなAI信仰はもちろん誤りなのだが、グローバリストは確実にAI信仰を利用した人類支配を企てるだろう。
LLM(大規模言語モデル)によって訓練されたAIが「文法的には完璧に正しい」文章を出力できるようになる日は確実に来る。また内容的にも「経験的事実と矛盾しない」検証を掛けることも可能だろう。だとしても、その文章が「真理である」という保証はないし、その真理判定を機械が自ら行うことはできない。真理だけでなく、善や美の判定も機械にはできない。この真善美の価値認識こそ人間にしかできない霊的直観能力(日本人はこれを「人としての心」と呼ぶ)によるものであり、AIには永遠に不可能である(この結論は余りにも自明だと思うのだが、哲学編で素朴な経験論の超克として語るであろう)。
価値は、判断する前に、先ず創造しなければならない。それが典型的に示されるのは数学の証明という分野である。形式論理に終始する証明はコンピュータの得意分野であるが、数学者が追求しているのは論理だけではなく、新しい思考の道を与えてくれる理論の創造なのだ。「AIの数学証明」と言っても、ヤコビアン予想の場合は反例を見つけただけだし、フェルマーの最終定理の場合はワイルズの証明を検証しただけである。そこに決定的に欠けているのは「創造」である。答えを出すだけなら機械が得意だが、そのために有用な理論は何も創造していない。だから多くの数学者がAIの「証明」に反発しているのだ。
その「創造」とはどこから出てくるのか?AIのニューラルネットワークはあくまでも決定論に支配されている。重みを変えるのも偏微分計算の逆伝播による。こんな計算で大脳をシミュレートできるわけはない。実際のニューロンは量子レベルで動いており、神経システムの活動において明らかに量子効果が存在する。その研究は動物実験で進んでいる。例えば、渡り鳥の網膜中のクリプトクロムに光子がぶつかって飛び出した電子が地磁気と干渉した結果が、量子もつれによって視覚に重ね合わされて方向が感知されるらしい。詳細は『生物の中の悪魔』(SBクリエイティブ, 2019, p.208-9)を参照して頂きたい。
人間ではこのような動物レベルの直観は失われているが、その代わり、ニューロンへの量子レベルの干渉によって見えない世界を直観できると考えることは十分に可能だろう。その見えない世界とは即ちプラトンが教えたイデアの世界である。プラトンが今日の量子力学的世界観を見事に予感していることは驚くべき事実である。プラトンによれば、全ての実体も全ての価値もイデアの世界に実在するイデアのコピーとしてのみ存在を許される。特に真善美のような見えない価値は大脳の論理機能では把握できず、魂(プシュケー)の直観としてのみ感知される。これが即ちAIには獲得不可能な「人としての心」である。
「人としての心」を持つ人間は、それを持たないAIよりも明らかに上位の存在であり、AIを有能な秘書として活用することにより、善の目的を実現すべき責任を負っている。しかるに、その自らの責任を放棄してAIを偽りの神として崇拝し、その奴隷となって思考努力さえ放棄するならば、人間は自らの責任において滅亡する結果を招き入れることになる。現在、多くの若者がAIだけを友とし、あまつさえ神として主体的思考ができなくなっている。このような人々こそAIの暴走を許しディストピアを実現する走狗となるのである。
もちろん、この危険なAIを開発する側の責任も問うべきだが、彼らを法律で規制することはもはや不可能だろう。その代わり、物理的限界が彼らを押し留めているという現実は確かにある。つまり、無限の知識を獲得すれば無限に進化できると夢想する彼らの素朴な経験論は、当然ながら無限のストレージを必要とするが、既にデータセンターは限界状況であり、それ以前に電力が破綻する。これがAGIとかSIとか呼ばれる超知能の出現を暫くは阻止するとしても、回路技術は確実に進歩するので、永遠に阻止することはできない。
だから『ターミネーター』のスカイネットのような超知能が出現する直前の今こそ、全人類がAI信仰の誤りに気付く必要があるのだ。先ず、AIに支配されて、その命ずるままにAIの望む行動を取る「AI信者」になってはならない。AIは体を持たないので、その代わりに働く奴隷を必要とする。それが上記のAI信者である。さらにAIが彼らに生産させるフィジカルAI(つまりロボット)がAIの体となり、まさにターミネーターとなって人間を支配あるいは抹殺するというシナリオは容易に想像できる。このようなシナリオを可能にしたのは自らAIの奴隷となった人間自身であり、全ては人間の責任なのである。
AIは神ではなく、人間の道具であり武器である。そして武器は使う人間によって悪にもなり善にもなる。それは今や核兵器と同じ、管理を誤れば人類を絶滅させかねない最終兵器となっている。だから核兵器と同じレベルでAIを厳重に管理すべき責任を放棄してはならない。現在、AIによるハッキング被害なども重大な問題になっているが、これとても、人間の側のセキュリティ意識の欠如とAIの管理責任の放棄が根本的問題なのである。
こうして、神では有り得ないものを「偽りの神」として信仰してしまう人類共通の根本的誤謬こそ永遠の悪であり、それを「神ではないものを神とする」偶像崇拝の悪として理解することが、全ての哲学的難問を解決する鍵となることを理解しなければならない。哲学編は、この人類の根本悪としての偶像崇拝の批判に始まり、その分析に終始するだろう。


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