私のライフワーク『神と和解する科学』の序論が何とか完成したので、私の命が尽きる前に、このブログで発表しておくことにした。本編も草稿としては既に書けているので、最終稿の完成次第、徐々に発表していきたい。
<本書の目的>
本書の目的は、中世の神絶対化も近代の科学絶対化も全く同じ偽りの神観に基づく決定論の誤りであることを示し、20世紀に漸く現れ現代科学も認めざるを得ない非決定論を根拠として、今まで誰も提示できなかった真の神観(神とはいかなる存在なのか?)を提出することである。それにより初めて神と科学の歴史的和解が可能となり、世界のあらゆる矛盾対立が和解可能となる。神を忘れた現代の危機において、この使命遂行により初めて、真の神の実在を明らかに知らせることができるはずだ、と本書は主張する。
<現代科学のパラダイムとなった非決定論>
20世紀は、量子力学、カオス理論、そして中立進化説の出現によって、現代科学のパラダイムが決定論から非決定論へと劇的に切り変わった世紀であった。非決定論とは世界が根源的に偶然によって支配されているということだが、その真の意義がいまだに全く理解されていない。その真の意義とは、決定論では永遠に不可能であった真の神観(Who Is God?)の理解を非決定論が漸く可能にしたこと、それにより従来全く和解不可能と思われて来た「神と科学の闘争」を最終的に和解・終結させることができる、ということなのだ。
神と科学の闘争とは、中世の神学的決定論と近代の科学的決定論という二つの決定論の近親憎悪による対立である。決定論とは、何らかの絶対的原因が全てを必然的に決定しているとすれば面倒な思考は不要だという怠惰な思考で、科学的決定論は、その知的麻薬を中世の神学的決定論からそのまま引き継いでいる。先ずニュートン力学の偉大な成功の結果として神が世界の支配を科学法則に委任したと考える理神論が生まれ、結果、引退した神は端的に忘れ去られて、神の王座を科学法則が簒奪した。しかし神の引退を認めない創造論者もいて、世界に二人の王は並び立てないので、両者の不毛な争いが続いている。
神学的決定論と科学的決定論が絶対に調停不可能なのは、どちらも絶対的な誤謬だからである。両者に共通する誤りは、神が支配するにしろ科学法則が支配するにしろ、その世界支配は絶対的(それ以外の要因を考える必要は無い)で必然的(偶然の入り込む余地は全く無い)と考える決定論にある。アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言って量子論に抵抗した。彼の神はスピノザの神であり、彼にとって神と科学法則は同じことであった。要するに、支配者が神であろうと科学法則であろうと、とにかく世界は必然性に支配されているという決定論の伝統的偏見を彼は端的に表明したわけである。
しかしアインシュタインは間違っていた。神はサイコロを振るのだ。ここで、二つの神観を考えよう。彼が信じていたスピノザの神=科学法則はサイコロの偶然の結果を予測できないが、彼の想定には無かった真の神はサイコロの偶然の結果を支配できる。つまり偶然は、科学法則には支配されないが、真の神には支配される。ただしもちろんその神の支配は確率法則を無視した奇跡であってはならない。それでは神学的決定論への逆行であり、科学と矛盾する。しかし確率法則を厳守する限り、また奇跡のような力を行使しない限り、偶然の結果を制御するのは神の自由に属し、同時にそれは科学と全く矛盾しない。
要するにこういうことだ。世界には偶然と必然の二つの領域があり、後者は古典科学の法則が支配するが、前者は神が支配する。科学は偶然の領域への支配権が無いことを認め、神も必然の領域への支配権を放棄して科学法則に委任する(これは神の全能性の否定ではなく、人間の自由を尊重する愛であることを神学編で述べる)。こうして神と科学は見事に両立する。では偶然の領域における神の支配とは何か?古来より「偶然の事象の中に神意が現れる」という暗黙知がある。その神意を知るために発達したのが各種の占いである。
ただし、占いに用いる事象の生起確率が高すぎたり低すぎたり、要するに確率法則を全く無視したインチキな「偶然」であれば、それは正当な占いとは言えず、ただの迷信にしかなり得ない。具体的には、西欧で行われた神明裁判がそのような迷信の最悪な実例であるが、これについては本文で触れる。逆に対称性が偶然に破れる場合のように確率法則を厳密に守る真に偶然の事象は、情報理論という科学で扱える。そのような確率事象が生起した場合、同時に式1に示されるような情報が生成することが知られている。
A = -logP/log2 (bit) (1)
ここで、Pはその事象の生起確率であり、Aはその事象が生起したことによって生まれる情報の量である。これは科学者にとっては常識なので、詳細は本文で述べる。とにかくこの情報は完全に天与のものであるから、その情報の発信者は神である。科学者はこの結論を回避して「対称性の自発的破れ」などと表現するが、情報が自発的に現れるわけはない。しかし彼らとしてはこのように言うしかないのだろう。なぜなら、情報が生まれる偶然の事象まではギリギリ科学の領域(正確には神と科学の境界領域)であるが、その情報の起源や意味についての考察は既に形而上学であり、科学者には扱えないからである。
<偶然から生まれた情報が進化を推進する>
上記の偶然の事象から発生する客観的情報に加えて、偶然の体験から霊的に啓示される主観的情報も、本書は同様に重要な神の言葉として扱う。しかし先ずは分かり易さのため、ここでは科学的に定義可能な客観的情報から考える。その代表は宇宙の進化を推進した約20個の物理定数と、生命の進化を推進した膨大な量のDNA情報である。これらは宇宙初期の対称性の破れとDNAの突然変異という完全に偶然の事象から生まれた。これらの天与の情報が全ての進化を可能にしたという事実は誰も否定できない。
それは、宇宙も生命も(そして人間が生み出した社会システムも)決定論的な機械のように動いているのではなく、情報によって構築され、情報によってアップデートされるソフトウェアシステムとして存在しているからである。進化とは即ち情報による宇宙・生命システムのアップデートである。今日の高度情報社会では、このような世界観が今や十分に可能であるはずだ。しかしダーウィニズムは進化が自然淘汰という法則により必然的に起きると説明し、この最悪の決定論が現代人を完全に洗脳して思考を停止させている。
本文では宇宙進化の正しい解釈についても語るが、ここではそれより喫緊の課題である自然淘汰説批判から始めよう。突然変異が無数に現れれば生存に有利な突然変異が必ず現れるというのはダーウィニストの信仰に過ぎない(実際には全ての突然変異は有害であり、その有害さがゼロに近いものを「中立突然変異」と呼ぶ。この中立突然変異の進化が最速であるから有利な突然変異は存在しないという科学的事実については本文で述べる)。
百歩譲って「有利な突然変異」が本当にあるとして、それは全突然変異の中でどれほどの確率で現れるのか?そんなことは推定不可能である。だから地球上に生命が誕生してから我々人類が生まれるまでに必要な時間は推定可能か?という疑問にも全く答えられない。ただ現実に我々が進化したという事実があるのだから有利な突然変異があったはずだと信じているだけである。それは要するに「進化の原因は有利な突然変異であり、それが存在した証拠は実際に進化したという結果そのものだ」という循環論法でしかない。
ダーウィニストもそのような欠陥は重々承知なのだが「進化に必要な時間を推定できるほど数学的に緻密な理論があるなら出してみろ」と開き直ることが数十年前はできた。ところが今既にその理論は出ているのだ。本文でも説明するが自然淘汰説を数学的に否定した中立進化説は、分子進化速度が突然変異率に等しいという極めて明快な理論予測をする。突然変異率は実際に測定可能で、DNAの全情報が一回書き換えられるためには約10億年必要だと分かっている。だから生命の進化には10億年オーダーの時間が掛かったのだ。
神は偶然の事象を使えば何でもできるが、確率法則は厳密に守る。そのために膨大な時間(と広大無辺な宇宙空間)が必要だったのだ。実に単純明快な話である。問題は神がなぜそこまでして科学法則を死守するのか?ということだが、それについては神学編で真の神観を理解して頂くしかない。「神など幻想だ」と反発するダーウィニストに対して言うべきことはただ一つ。「生存の有利さ」などという虚構の変数こそ実際には測定不可能で、ダーウィニストの頭の中だけの幻想であったと指摘するだけで良い(詳細は科学編で)。
そういうわけで、決定論の誤謬を明確にするために進化を正しく理解することは極めて重要な本書の使命となる。そこで、第一部科学編では先ずダーウィニズムを徹底的に批判し、正しい進化論を最新の研究に基づいて再構築する。そして第二部哲学編で偶然の意味を正しく理解した上で、創造論と進化論を完全に両立和解させる方法論を示す。以上の議論の最終的結論として、第三部神学編において真の神観の具体的内容を提示できるようになる。
[以下、科学編、哲学編、神学編の要約が続くが、長くなるので今回は目次だけ示す]
『神と和解する科学』目次
<第一部(科学編)進化とは何か?>
第一章:中立進化説の真の意義
第二章:小進化は種を守る変異
第三章:大進化は飛躍的種分化
第四章:正しい進化論の再構築
<第二部(哲学編)偶然とは何か?>
第一章:偶然が生む情報とは?
第二章:プラトンに学ぶ存在論
第三章:カントを超える認識論
第四章:弁証法は和解の方法論
<第三部(神学編)真の神観とは?>
第一章:想定可能な四種の神観
第二章:神の心を知る自由原理
第三章:平等原理と幸福の繁殖
第四章:偶像崇拝は四段階の悪


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