[制御は潜在能力を大前提とする]
「制御の進化だけで進化を語ってしまう勘違い」について、もう少し説明を加えておかないと全く理解して頂けないだろう。それで、図2-2を用いて説明を試みる。ここで、上記の「遺伝子スイッチの働きを変えることにより潜在能力の発現を制御する」進化を「制御進化」と呼び、エンジン回りに譬えられる本体としての潜在能力の準備を「本体進化」と呼ぶ。具体的に言えば、本体進化とは本体システムを構成する遺伝子群の進化であり、制御進化とは遺伝子スイッチ(つまり上記の本体システムを制御する部分)の進化である。両者の根本的な違いは、下記に示す通り、それぞれの起きた時代が全く違うことである。
進化の時代区分については第四章で説明するが、ここでは大まかに「本体進化は過去」で「制御進化は現在」と区別しておこう。「現在」というのは、以下で議論する進化の現象が起きている時点の現在であって、本体進化はそれより遥か昔に目に見えない潜在能力を準備した中立進化を意味する。恐らく今まで誰も理解したことのない両者の関係をどう説明すれば分かって頂けるだろうか?と思い悩んだ。とにかく言うべきことが余りにも多いので、以下に箇条書きにしてみた。この順番に説明していくしかないだろうと思う。
1.ダーウィニストが進化と呼んでいる現象は、全て制御進化である
2.建前として、有利な突然変異は本体を含む全体で起きるとされる
3.しかし遺伝子では有利な突然変異が存在しないことは自明である
4.それで恐らく無意識に制御進化を「有利な突然変異」と誤認する
5.そして制御進化の結果としての当然の繁殖を自然淘汰と誤認する
6.結果、全てを自然淘汰の功績として、本体進化の功績を盗み取る
7.その根底において、潜在能力を生命の神秘的能力と信仰している
<1.全ては制御進化である>
「進化の実証例」は全て制御進化であることは既に語った。それだけでなく、ダーウィニストが進化の具体的説明をしようとすれば、全て制御進化の話になるのに、彼ら自身は全くそれに気付くことができないのである。その典型はドーキンスである。彼は『Climbing Mount Improbable』(邦訳は無いが『登れるとは思えない進化の山を登る』という、進化を山登りに譬える典型的ダーウィニズムである)という著書の中で、動物の多様な眼はそれぞれ全く異なるように見えるとしても全て同じ先祖の原始的な眼から自然淘汰で漸進的に進化したのだと論証しようとしているが、その論理は正に夢想としか言いようがない。
彼は最も原始的な眼として視細胞がカップ状に並んだ二枚貝やカサガイの眼を図示し、その改良型としてオウムガイのピンホールカメラ型の眼を図示する。読者はこれを見るだけで、カップの口が段々狭くなる漸進的進化でピンホールカメラ型の眼が作れると錯覚してしまう仕掛けだが、先ず素朴な疑問として「開口部が狭くなる」ことがどうして有利なのか、むしろ取り込める光量が減って不利ではないのか?ドーキンスはこういうことには知らん顔で通り過ぎ、後でレンズの進化を語る時に「これで光量不足の問題は解決する」などと言って後出しで誤魔化している。しかしこういう細かい話は今の本題ではない。
今の本題はもちろん「これも制御進化だ!」ということである。鳥類の嘴の大きさを変える遺伝子スイッチの存在について我々は知った。ということは、その遺伝子スイッチによって制御される「嘴の大きさを変える潜在能力」があるということを明らかに意味する。これと全く同様に「開口部の直径を変える潜在能力」というものがなければならない。既に示した自動車の譬えでも、速度を変える度にエンジン本体を作り直すなどというのは無理な話で、アクセルやブレーキ等の制御部分で速度を変える方式しか有り得ない。だから「開口部を狭くできる」という潜在能力の存在も当然の大前提として要請されるのだ。
ゆえにドーキンスが「開口部が狭くなった」という現象を語るのであれば、ではなぜそれが可能だったのか?それを可能にする潜在能力がどのように獲得されたのか?という問題を第一に語らねばならなかった。この論理的帰結を明確に自覚すべきであるのに、全く知らん顔で「狭くなるのは当たり前」という態度で終始する。その理由は制御システムの観点の欠如という問題も当然あるが、それ以上に「不都合な事情」がある。それは、議論している進化より前の「過去」の時点で準備された潜在能力の存在を認めてしまえば、進化をその時点の「現在」の自然淘汰の功績とすることができなくなるという事情である。
<2.建前は本体全体の進化>
実際、自然淘汰説は、上述の自動車の譬えで言えば、エンジン回りの本体部分が自然淘汰で性能アップしたという建前で終始する。つまり全遺伝子で構成される本体部分がいきなり刷新されたというイメージであるが、こんなことは絶対に有り得ない。本体部分は極めて精緻なシステムであり、一つの部品でも勝手に変更したら必ず壊れる。だから本体部分が一つの突然変異で大きく進化するというダーウィニズム的な進化のイメージは絶対的誤謬である。正解は「一つの制御進化で大きく進化する」ということしか有り得ない。
<3.有利な突然変異は無理>
実際、遺伝子部分の一か所が置き換わる突然変異は遺伝子を破壊するだけで、有利になどなるはずがないということはダーウィニストも本音では分かっているのだ。少しでも生物学を学んだ者であれば、タンパク質をコードする遺伝子の一文字でも変わってしまえば、ほとんどの場合は翻訳できなくなること、たとえ翻訳されても全く別の性質を持つアミノ酸に入れ替わり、タンパク質がまともに動けなくなることは理解しているはずである。
<4.「有利な突然変異」?>
一方、現実問題としては、一つの制御進化で大きく進化する現象は確かに起きている。だから彼らがこれを「有利な突然変異」と思ってしまうのは自然だろう。ただそこで「一つの突然変異でなぜこんなに大きな変化が起きるのか?」という、システム設計者の観点からの疑問を持って欲しいのだ。その答えは「大きな変化を起こせるだけの潜在能力が既にあるからだ」ということしか有り得ないのだが、その余りにも当たり前の結論を意識化することさえできない。ゆえにそれは、ただ無意識のイメージとして「生命は世の初めから進化する神秘的能力がある」と盲信する生命信仰となってしまう(これは7.で語る)。
<5.「自然淘汰」も誤認!>
制御進化が「有利な突然変異」と誤認されれば、その結果が自然淘汰の功績と誤認されるのは当然の結果だろう。誰よりもダーウィンが、この制御進化の典型である品種改良から自然淘汰説を思い付いたのであるから、これを「天才的な発見」と神格化する人間の頭は制御進化の結果を自然淘汰とする誤認で凝り固まっている。だからダーウィニズムとは、その全体が、ここまで説明した誤認の上に築かれた壮大な幻想に過ぎないのである。
<6.自然淘汰は功績泥棒!>
ここで一つの譬え話をしよう。ある海賊が宝物に満たされた宝島を発見したとする。その海賊は当然のように、その全財宝の所有者は自分であると考えるだろう。しかし、普通の日本人は、これは間違っていると考える。その宝物は過去の誰かが蓄えたものであり、それを自分のものとするのは泥棒である。ダーウィニズムの「自然淘汰による進化」も、それが起きるより遥か昔の中立進化によって準備された潜在能力によって可能となったのである。ならば自然淘汰がそれを勝手に自分の功績とするのは明白な功績泥棒であろう。
<7.生命信仰が根底にある>
この功績泥棒は余りにも明らかだが、上記の潜在能力を生命が世の初めから所有する神秘的能力と思い込む無意識の生命信仰によって正当化されてしまうので、誰も気付かない。どんな進化も「自然淘汰の見事な力です」と盲信してしまう自然淘汰信仰は、そもそも生命自身が自分で進化できる神秘的能力を持っていて、それを自然淘汰が実現するという無意識のイメージに支えられているのだ。そして、その生命信仰は、実際に余りにも見事な生命の神秘的能力を日常的に目撃できるため、無意識に形成されてしまうものである。
その神秘的能力の代表例は、蝶類の完全変態である。ポケモンの進化も当然ここから着想されたのだろう。これを見て明らかに学べることは、生物が全く同じDNAを使って全く別の姿になれるという事実である。この変態と全く同じ原理で、環境の変化に即応して個体の多様性が可逆的に入れ替わる小進化も、不可逆的な種分化を起こす大進化も、確かに可能であると気付けるはずだ。変態と進化という全く異なる生命現象に全く同じ設計思想が存在することに気付くだけで、新しい進化観を悟ることは可能になると言えるだろう。
変態と進化は違うけれど、飛躍的変態は飛躍的進化の原理を教えている。そこで先ず、変態する蝶が同じDNAを使って次々と姿を変えるメカニズムを見よう。これは言われてしまえば簡単で、幼虫の時、蛹の時、成虫の時で使うDNA領域を切り替えるのである。その制御自体が驚くべきものだが、とにかく切替制御は遺伝子スイッチの得意技であり簡単にできる。変態は個体レベルの変化能力であり、種レベルの変化能力である(「小進化」と誤称される)種内変異の制御進化と同じメカニズムを使っているのだ。そしてここでも真の問題は、それを可能にした潜在能力がどのように準備されたか?ということである。
蛹になるための潜在能力があり、蝶になるための潜在能力がある。それは初めからDNAの中に準備されている。遺伝子スイッチの役割は、そのどちらの潜在能力を使うかを切り替えるだけである。その切り替えだけで、全ての細胞が溶けて蛹になり、さらにそこから蝶の体を組み立て直す変態が可能となる。「小進化」では多様な個体を生むための潜在能力があり、大進化では新しい種を生む潜在能力がある。その全ての潜在能力が、全て過去の膨大な中立進化によって予め準備されたものであるという事実に反論の余地は無い。
飛躍的変態にしても飛躍的進化にしても、それを漸進的変化で説明するための中間生物などというものは存在し得ない。変態の途中で「やっぱり変態できません」となったら(あるいは進化の途中で胎児が正常に発生できなければ)死ぬしかないので子孫を残せないからである。だから、先ず潜在能力を完成するまでは前段階の生物として生き続け、潜在能力を完成した以降の世代において、一つの遺伝子スイッチが突然変異を起こして、その潜在能力を使い始めるという制御進化の形を取るしかないのだ。この潜在能力を準備する本体進化とそれを使い始める制御進化の詳細については、第四章で説明することになる。
こうして小進化も大進化も蝶の変態と同じ原理で理解できることが分かったが、次の第三章ではいよいよ小進化と大進化の違いについて踏み込んで行くことになる。「小進化」とは実際には進化ではなく、あくまで「同一種内での変化」に過ぎない。では「同一種」とは一体何であるのか?一方で「大進化」は「新しい種の誕生」である。ではここで「新しい種」として誕生するものは一体何であるのか?これは極めて深い哲学的な問題であるからダーウィニストには全く理解できなかったのである。そこで、次章では「実体とは何か?」という古代以来の難問から哲学的な議論を始めていかねばならない。



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