第四章:正しい進化論の再構築(第三節)

[種毎に固有のソフトウェア進化]

全生物種に共通のハードウェアとなる遺伝子が先カンブリア時代に準備された後、それを用いて各生物種に専用のソフトウェアとなる胎児発生プログラムを準備した段階を、ソフトウェア進化と呼ぶ。このソフトウェアが完成して初めて、単細胞生物が多細胞生物となる進化が可能となる。既述の通り、九億年前頃には多細胞動物となるために必要なPTK遺伝子が作られていて、カイメンのような原始的な多細胞動物も現れている。そして五億四千万年前頃、突然ほとんど全ての動物門が一斉に出現したカンブリア大爆発が、ソフトウェア進化の開始を明確に示す。これを自然淘汰で説明するのは、もちろん不可能である。

新しい種が進化する場合、受精卵から胎児となり無事に誕生するまでの間、極めて神秘的な胎児発生プログラムが必要になるが、プログラムというものは構築中には動作できず、完璧に完成したと言える段階で注意深く起動しなければ正しく動かない。未完成の胎児発生プログラムで生もうとしても胎児は死んでしまう。従って、ソフトウェア進化は完璧に胎児発生できる完成段階に至るまでは表現型に現れない。つまりそれは潜在能力として進化するので、自然淘汰には掛からない。ゆえにソフトウェア進化も、ハードウェア進化と同様に、中立進化でなければならない。これは余りにも明白で否定しようがあるまい。

生命体の極めて繊細な仕組みを考えれば、適当に手直しをする度に子供を産んで自然淘汰に掛けていくなどという粗雑極まる進化論を、良く平然と考えられたものだと思う。そういう楽天的な自然淘汰説のイメージが可能だったのは、何度も言うように、既に潜在能力が完成していることを無意識に察知して、それを生命自身の神秘的進化能力と信じ込んでいる生命信仰がある(もちろん、それは決して自覚されない)からこそである。彼らが「有利な突然変異」と思っているのは、実際には既に保有する潜在能力の現実化なのだから、発生に失敗して胎児が死んでしまう心配はないという無意識の保証があったわけである。

で、そのソフトウェア進化の実例はどういうシナリオで描けるか?という問題に入る。それを解明するのはエボデボの学者の責任であるのに、彼らはソフトウェア進化を明確なシステム設計として捉えることができず、単に様々な遺伝子スイッチの神秘的な働きを脈絡も無く発見しているのに過ぎない。ならばそれを学ぶ我々の方で、不思議な振る舞いをする各遺伝子スイッチは、生命システムを設計する場合のアルゴリズムの観点から考えて、胎児発生プログラムのどの時点でどのように働くのか?とシナリオを想像するしかない。

先ず代表的な驚くべき遺伝子スイッチは、明らかに目の進化に関与するPAX6である。キャロルは、プラナリアの原始的な目、ハエの複眼、そしてヒトの高度なカメラ眼、という全く関連が無さそうな各種の目の進化において、最終的に必ずPAX6が働いて目が完成するという仕組みがあることを発見している。このようなPAX6の働きは、目を持つ全ての動物で共通であることが現象的に明らかである。これはダーウィニストには理解の限度を超えた話であるから、キャロルもこれをどう説明したら良いのか途方に暮れている。

ここで、観察事実として受け入れるしかない重大な結論は、PAX6は全ての左右相称動物において共通の働きをするが、それは構造が近い器官に対して同じ働きをするのではなく、現象的形態は違っても「見るための器官」という本質的機能が同じであれば、それぞれの潜在的システムを現実化するという意味では全く同じ働きをする、ということである。このような本質的整合性は、可視的な現象的形態が連続的に変化する漸進的進化しかイメージできないダーウィニストには永遠に理解できない事柄であろう。逆に、不可視の潜在能力に通底するアルゴリズムの一貫性という観点を持てれば、実に美しい設計と思える。

全ての種で一貫する目の進化のアルゴリズムは以下の通り。目の進化はⓐ先ず目を一つの完璧なシステムとして作るための潜在能力を備える、ⓑその能力は種毎に全く異なるが、全ての種でPAX6がその能力の起動スイッチとなる、ⓒすると潜在能力が動き出して目が出現する、という順番で起きる。ここでⓐの段階では目は潜在的可能性としてのみ存在し、現実の姿には現れていないのだから、自然淘汰の働く余地は全く無い。だから目の進化は「完全なる偶然」による中立進化でしか有り得ない。同時に、その偶然の結果が極めて合目的的である。即ち、進化の原動力は自然淘汰ではなく「合目的的偶然」のみとなる。

次に、レトロウィルスからPEG10を偶然もらって胎盤ができたという事例を見よう。この胎盤の進化をジグソーパズルのイメージで考えて「PEG10は胎盤の進化を完成した最後のピース」などと表現するのは全く的外れなダーウィニズム的偏見である。PEG10が最後のピースでしかないならPEG10無しでも胎盤がある程度漸進的に進化できたはずである。ところが胎盤はPEG10が有れば形成され、無ければ形成されず胎児は死ぬ。つまり生殖できず中間生物は生き残れないので、漸進的進化は不可能である。だからPEG10は単なる一部品ではなく、潜在的に進化した胎盤形成能力を一気に現実化した遺伝子スイッチである。

卵生から胎生への進化は、胎児が無事に育つため胎盤を作る等の全ての潜在能力が完璧に準備されてから生み方を一気に切り替えるという飛躍的進化でなければならない。初めからPAX6が存在した目の場合より、最後に棚からボタ餅のようにPEG10が降臨した胎盤の進化の方が遥かに分かりやすく、ダーウィニズム的な漸進的進化は不可能で飛躍的進化でしか有り得ないことを事柄自体が語っている。つまり、胎盤を作るための潜在能力を中立進化で蓄積した後、PEG10が一気に(最初は有袋類のような卵黄嚢胎盤であったとしても、とにかく胎児が成長できる)完璧な胎盤を現実化したとしか考えられない。

最後にもう一つ、FOXP2について考えよう。これは言語遺伝子などと呼ばれて、FOXP2が失われると発話ができなくなることから、FOXP2の獲得を直ちに言語能力の獲得と同一視してしまうような短絡的議論が行われる。確かにFOXP2は大脳ブローカ野の発話機能をオンにする遺伝子スイッチであるが、それは言語能力の必要条件でしかなく、十分条件ではない。それはスピーカが来たから音楽が流れたというようなもので、その音源はどこから来たのか?という問題が全く無視されている。何かを話すためには、意味のある文章を音源として生成しなければならない。その文章の生成ができて初めて十分条件となる。

発話能力のソフトウェア進化という意味では、大脳ブローカ野の潜在能力が先ず必要であることは当然である。しかし言語能力ともなれば問題はさらに深く、そもそも文章を生成する潜在能力が準備されていなければ言語を話すことはできない。この生得的言語能力の存在がダーウィニズム的議論では全く無視されているのだ。ダーウィニズムの根源的誤謬は、目に見える形態が準備されれば目に見えない機能は経験的に獲得されるという経験論である。これは歩行機能や飛翔機能についても既に語ったが、言語機能においても、言語は経験論的に進化したのではない、ということを言語そのものから学ばねばならない。

それは先ず、母国語の習得と成長後の外国語の習得の違いから明らかである。外国語の習得はまさに経験論に近いが、母国語の場合、幼児は単に親の言葉を模倣するだけではない。親の言葉が完璧でなくても、幼児は自分で文法を創造して勝手に話し出すことができる。それは、英語が十分に話せない移民の子供が独自に完璧な文法を備えたクレオール言語を創造できるという事実からも明らかである。もちろん親が伝統的な文法で話すように修正するのが普通だが、とにかく自分で文法を創造する生得的能力が幼児には確かにある。

そもそも、サルの叫び声から言語が進化したなどという粗雑な経験論では、言語の高度な抽象構造を説明することはできない。人間の言語は、音素→単語→文章という三段階で構成されるが、それぞれの段階で、動物には不可能な抽象機能がある。先ず音素は、感情と切り離せない叫び声から超越して、誰が発音しても同一の記号表現となる抽象機能である。このような記号化だけなら動物でもできる(例えば蜜蜂のダンスなどは有名である)。しかし音素は単体では指し示す所記を持たず、単語に組み合わされて初めて所記を持つ能記となる(指し示す能記と指し示される所記が対応して初めて、言語記号となる)。

「動物の言語」と誤って呼ばれるものは全て叫び声や身振りに直結した意味を持つだけで、それ以上の高度な意味を表すことはできない。それに対して人間は、音素という(最小で十個、多い言語では百個以上の)抽象的記号を創造した上で、さらにそれを組み合わせて無限の意味を指し示す単語を創造することができる。そして、文章を構成するための文法は、動物には全く不可能な抽象的論理の構築を可能とする。例えば、動物は「永遠の現在」に縛られて生きているが、人間は時制の文法により、時間を超越する言語表現ができる。この時空を超越する言語空間が、人間にしかできない精神世界の創造を可能とするのだ。

ここで注目すべきことは、この音素→単語→文章という三段階構造が、DNA言語においても核酸塩基→コドン→遺伝子という全く相同的な三段階構造として存在するということである。このような相同性は、科学的には全く偶然の結果であるが、本書の哲学的立場である意図的偶然(合目的的偶然)の観点からは当然の世界構造として見えてくる。それは余談として、上記で言いたかったことは、肉体と時空を超越した人間だけの精神世界の存在である。FOXP2が言語遺伝子として機能するためには、肉体的次元で発話できる潜在能力に加えて、精神的次元で言語を生成できる潜在能力が先ず存在しなければならない。

ヒトの進化は、この精神と肉体の二重の潜在能力の先天的存在と、その潜在能力を一気に現実化して飛躍的大進化を起こす遺伝子スイッチの存在によって初めて可能となった。科学編の最終節となる次節では、その最終的な大進化を起こす遺伝子スイッチと、進化の究極的段階となるヒトがサルからいかに進化したのかという問題を扱う。そのためには人間の精神世界が動物とどのように異なるのか、さらに言えば、現代の喫緊の脅威となっているAIともどのように異なるのか、についての哲学的考察も必要となるだろう。

東工大電子工学科卒、電気工学修士取得
米国の神学校に留学、宗教教育修士取得

政教分離は西欧の特殊事情によるもので、
もちろん、カルトは排除されるべきだが、
政治には健全な宗教性が絶対必要である。

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