[小進化と大進化は全く別の現象]
ダーウィニズムには「小進化」と「大進化」という概念があり、両者は連続的なものと見做されている。これこそ「進化とは何か?」が全く分かっていない彼らの根本的誤りと言うべきである。先ず両者の違いを明確にしておこう。「大進化」とは、それまで存在していなかった新しい生物種が誕生し、逆戻りすることは有り得ない種分化の現象で、本来これだけを「進化」と呼んだはずだろう。しかし誰も大進化を見たことはない(種分化を観察したという報告は根拠薄弱で、その詳細は種の定義に関わるので第三章で述べる)。
一方において、ある生物が短期間で見事に姿を変える現象は確かに観察できる。そのため「これも進化だ!」と誤認して「小進化」と呼ぶのだが、以下で説明する通り「変化」と「進化」とは全く異なる。しかるに、この「小進化」がどんどん累積すれば必ずいつかは大進化(即ち種分化)となると信じて疑わないのがダーウィニズムの致命的誤謬である。これはもともとダーウィンが思い付いたことで、ダーウィニストはこれを「偉大な発見」と称賛し絶対化するが、それはあくまでも十九世紀の人間の稚拙な「思い付き」でしかなく、今では科学的に完全に破綻している、ということを以下で説明する。
上記のように「小進化」は種内変異と呼ぶべき変化の現象を指し示すのだが「後天的な突然変異による新規の進化」という意味を持つ点が誤っている。真実は、種内変異は悠久の過去の中立進化で先天的に蓄積された潜在能力であり、一部が変化することによって種全体を守ろうとする本質的能力である。この「変化することによって自分を守る」という性質は個体レベルでも観察できる。代表的なものは擬態であるが、形や色を変えるのは自分を守るためである。さらに言えば青虫が蝶に変態するのも、生き方に応じた最適な姿で自分を守るためである。このように生物は驚くほどの変化能力を生得的に持っている。
種内変異とは、そのような個体レベルの生得的な変化能力に対応する「種レベルでの生得的な変化能力」である。種レベルの変化に伴う個体の交替は、個体レベルでの細胞の変化や交替に対応し、どちらのレベルでも全体の自己同一性と部分の変化とは矛盾せず両立する。そうして、種全体としての自己同一性を守ろうとする種レベルの永続本能というものが、個体の自己同一性を守ろうとする生存本能に対応するものとして存在する。このように全体の保存と部分の変化は同じ現象の裏表として理解すべきである(図2-1参照)。
種内変異はなぜ本質的に必要なのか?それはもちろん、環境が変わった時に様々な種内変異が存在すれば、適応した個体が生き残ることにより種の全滅を避けられるからである。適応できなかった個体は滅びるが、これを西欧的感覚で自然淘汰の敗者と見るべきではない。死んだ者は種の存続を仲間に託したのであるし、生き延びた者は進化した勝利者ではなく仲間のために種を守ったのである。日本人ならこの感覚が分かるはずだ。
しかしダーウィニズムは西欧的弱肉強食の思想であるから、それが豊かな種内変異と本質的に矛盾してしまうという大問題がある。劣者は死ぬべきであり、優者だけが生き残るべきであるなら、種の個体は「その時点の環境に最も適応した者」の子孫ばかりに偏るが、その後に環境が激変した時には、全個体が逆に不適応者となって全滅してしまう。ダーウィニストは当然この致命的な矛盾に気付いているが、それをどう解決しただろうか?
個体次元では、現在の環境に最高に適応した者が生き残るが、種の次元では、様々な環境に適応できる種内変異を豊富に保有する種が永続できる。ここに目を付けて「種間淘汰」という仮説修正が考え出された。つまり淘汰の単位を個体から種にずらせば良いという、典型的な論点ずらしである。淘汰の単位が種であるなら「種内変異が豊かな種だけが勝ち残った」と言えるように見えるが、これで逃げ切れるわけはない。これでは「その勝ち残った種はなぜ豊かな種内変異を持てたのか?」という疑問に何も答えていないからだ。
種間淘汰のように、仮説を修正しても問題を増やすだけで何も進歩しない仮説修正をラカトシュは「退行的な仮説修正」と呼んで、理論の説明範囲を前進させる正しい仮説修正と区別した。このような、逃げ回るだけの仮説修正は、共産主義やダーウィニズムのようなカルトに特徴的な誤謬である。一方、中立進化説にはこのような矛盾は最初から存在しない。中立進化は完全にランダムな進化なのだから最高にバラつくのは当然である。従って全ての現存種の種内変異がなぜ豊かになるかは何の問題もなく説明されてしまう。
[進化の実証例は全て先天的変異]
そういうわけで、豊かな種内変異がどこから来たのかについて、ダーウィニストはほぼ説明責任を放棄している。それでも「進化の実証例」と誤認した種内変異の場合、本当に進化が起きたと強弁するなら、それらは環境の変化に適応するために後天的に生じた突然変異であると証明する責任から逃げることはできない。しかしその証明ができた例はなく、全ての種内変異は後天的な進化ではなく、先天的に保有されていた変異、つまりは悠久の昔から累積された中立進化の結果であることが逆に明らかとなってしまうのである。
ダーウィンフィンチは代表的な「進化の実証例」であるが、これについては序論で説明した通り、既に真相は解明済である。つまり、嘴の形を大きく変えるCaMやBMP4のような遺伝子スイッチは全ての鳥類に共通で、ダーウィンフィンチも初めから自由に嘴を変える能力を生得的に備えていたのだ。だから環境が元に戻れば嘴の形を元に戻すことも簡単にできる。その現象は実際に観測されているが、教科書までこれについて「逆方向の進化が起きた」などと平然と言い逃れる。もはや頭がおかしいとしか言いようがない。
このように短期間で両方向に姿を変えられるなら、それは種内変異の範囲内で自由に変化できる種の生得的能力でしか有り得ない。それは次に有名な「工業暗化」の話でも明らかに分かる。工場の煤煙により樹木の幹が黒くなったために白い蛾が鳥に食べられて黒い蛾が増えたというのだが、これもほとんど笑い話であって、この工業暗化の環境問題が改善されたら、また白い蛾が現れて元に戻ったのである。これのどこが「進化」なのか?要するに、白にも黒にもなれる生得的能力が初めからあったというだけの話だろう。
このように、いわゆる「進化の実証例」なるものが正統的な自然淘汰説で証明された例は一つもなく、実態が解明されたものは全て遺伝子スイッチの働きによるものだと分かる。遺伝子スイッチが働くためには、先ずスイッチを入れるべき先天的潜在能力の存在が大前提となることが明らかであるから、その潜在能力はどこから来たのか?を問う責任があるはずである。しかるに、そのことに誰も気付かないのか、あるいは触れるのを恐れて隠蔽しているのだろう。もはや蛇足だが、遺伝子スイッチの例をもう一つだけ述べる。
あるアフリカ人集団では、ある種の糖タンパク質が赤血球においてのみ欠けているため三日熱マラリア原虫に対して耐性がある。その原因は赤血球においてその糖タンパク質の発現を促進するためのエンハンサー領域の一塩基がCからGに置換された突然変異であることが分かっている。エンハンサーは遺伝子そのものではなく、遺伝子と同じDNA鎖に存在して遺伝子を制御する。このように遺伝子の発現を促進するエンハンサー領域や逆に発現を抑制するサイレンサー領域のような制御領域も遺伝子スイッチの一種である。
これ以上調べても結論は全て同じだろう。要するに「小進化」と呼ばれている突然変異は全て遺伝子スイッチの働きを変えるものであり、それ以外に有り得ないのである。それは当たり前なのであって、遺伝子本体が書き換えられるような突然変異は全て遺伝子の破壊であり、改良になどなるはずがない。生命体は、自動車で言えばエンジン回りの本体と、ブレーキやアクセル等の制御装置で構成され、後者が遺伝子スイッチだが、制御は当然、本体があって初めて存在価値を持つ。その本体の誕生の秘密という真の問題を忘却し、制御の進化だけで進化を語れると勘違いしているのが進化論の驚くべき現状なのである。


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