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(1)真の神観とは何か?

前回、真の有神論は理論と実践であると語ったが、その実践のための力となる具体的理論を今回から語る。先ず、その流れを要約しておこう。それらは以下の四つの観点で語られる。(1)真の神観とは何か?(2)真の自由とは何か?(3)真の平等とは何か?(4)真の喜びとは何か?
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真の有神論はAの立場

ここまで、D類型、C類型、B類型と語って来たが、最後の神観はA類型と呼べるほどの集団が存在しないので「Aの立場」と呼んできた。それは「超越神」を「内なる神」として認識する立場であり、これこそが真の有神論である。私が「真の有神論」と銘打つのは、世の中のほとんどの有神論がインチキ有神論でしかないからである。
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日本精神に見るB類型

今回は、西欧的なC類型のアンチテーゼと成り得るB類型の神観について語る。B類型の神観とは「内在神」を「内なる神」とする立場であり、日本精神に代表される。日本精神は基本的に神道だが仏教も大きく影響しているので、B類型のBは仏教のBと考えて頂いても良い。
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神学的決定論はC類型

今回は、D類型の出現に対して直接的に責任を問われるべきC類型の神観について語る。C類型の神観とは「超越神」を「外なる神」とする立場であり、その代表はキリスト教の神学的決定論であるから、このCはキリスト教のCと考えても良い。
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科学的決定論はD類型

前回は想定可能な四類型の神観を示して「超越神」を「内なる神」として認識するAの立場が真の有神論であると述べた。今回はそこから最も遠いD類型の神観について説明する。それは「内在神」を「外なる神」として認識する立場で、その代表は科学的決定論である。
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想定可能な四類型の神観

前回、偶像崇拝の説明をしようとして非常に苦労し、結局、日本的な偶像崇拝の典型例という話しかできなかった。今読み直しても、いきなり偶像崇拝と言われて正しいイメージを掴める人は少ないだろうと反省している。しかしとにかく、様々な現れ方をする偶像崇拝を全て克服しなければ真の神観には到達できない。
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偶像崇拝は全人類の病

前々回に決定論は西欧文明特有の病であることを語ったが、その決定論の本質をより深く反省するなら、それは偶像崇拝という全人類共通の病であることを今回は語る。
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創造論と進化論の和解方案

決定論の悪を徹底的に糾弾した前回の準備作業を踏まえて、今回は最終的に創造論と進化論を和解させるための方案を冒頭の図を使って示す。ある対立が絶望的な矛盾と見えてしまう理由は、互いに両立不可能な絶対的誤謬を抱えているためであり、実際にはどちらにも真理部分はある。それがどちらも真理であるなら、それは必ず一段高い真理の裏表として両立可能であることが分かるはずである。
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決定論は西欧文明の病

前回、神が居るか居ないかではなく「正しい神観とは何か」が問題だと書いた。無神論者は「神は居ない」と言っている以上、当然「神とはいかなる存在であるか」を知らない。自分が何を否定しているのかも知らずに否定することはできない。
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自律と連帯こそ我々の目標

私は各人の生きる目的も各国家の存在目的も全く同じ「自律と連帯」であると考える。しかるに恐らく誰も真の自律を達成できず、従って他者の自律の価値も理解できないために真の連帯が不可能になっている。国家においても真に自律した国家が一つも存在せず、従って他国の自律も尊重できず真の連帯ができない。
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