参政党応援ブログ

未分類

参政党の勝利を祝し、応援します

2022年7月10日の参院選で、今まで全く無名であった参政党の神谷宗幣事務局長が比例区で見事に当選した。たった一議席ではあるが、これは偉大な一歩であり、今後の大躍進の展望は既に明らかに見えている。得票率で見れば3%強の国民は確かに目覚め、選挙期間中は全国の街頭演説が黒山の人だかりとなり、熱狂の渦を巻き起こした。地方区では200万票を超え、比例区では約177万票で、あと17万票弱で武田邦彦先生も当選できた。これは確かに残念だが、高齢の武田先生に激務は酷だと心配していた私としては、むしろほっとしている。

神谷さんは「自分だけが当選して全ての責任を負わされるのは勘弁して欲しい」と冗談めかして演説していた。しかし内心ではそうなる可能性を重々承知した上で、命を捧げる覚悟で始めた運動なのである。実際に安倍元首相が暗殺されるという最悪の事態が起きて、我々は本当に参政党の候補者たちの身の安全が心配になった。

しかし、安倍元首相が暗殺されても、参政党と幸福実現党は街頭演説を中止しなかった。だから参政党も幸福実現党も狂信的カルトだと批判する人々は、命懸けで生きる人間の存在自体が理解できず不気味としか思えないのだろう。私は幸福実現党の武士道精神を評価するが、一人の教祖を神のように絶対化するなら、それは確かにカルトである。それに対して神谷さんは名前こそ宗教っぽいが、いかなる宗教団体にも支援されておらず、神格化もされていない。様々な宗教団体の信者が教団とは無関係に個人的に支援しているが、その自由な意志に基づく行動さえカルトだなどと言い掛かりを付ける人々は恥を知れと言いたい。

参政党の演説で人々が泣くのは、それが真実だからであるのに、真実を探し求める心さえ持たない人々はそれをも不気味だとしてカルトだと言う。このように人としての最低限の心も持ち合わせずレッテル貼りしているだけの見物人の姿こそ、真に不気味な大衆の退廃である。

今、真に目覚めた国民の切なる願いを背負うただ一人の参政党議員として、しかし初めから明確な戦略を立てた上で、神谷さんは苦難の道を歩み出そうとしている。今後は統一地方選で三百人の候補者を立て、全員当選を目指すと言う。次の国政選挙まで三年も待っている余裕は無いのだ。日本の崩壊の危機は目前に迫っている。

岸田首相は国民が自分を支持したと錯覚、あるいはうまく騙せたと安堵しながら、財務省に言われるままに消費税増税を企むだろう。憲法改正も安倍元首相が望んだ方向とは真逆の意図を隠している。参政党は岸田首相の企む緊急事態条項の創設に明確に反対している。これがパンデミックを利用した全体主義的強権支配への道を開こうとするグローバリズムの意向に沿ったものであることは明らかだからだ。

参政党は世界の歴史がグローバリズムの陰謀で動かされてきた事実を明確に批判している。グローバリストは世界中に紛争の種を撒き散らす陰謀を通じて自分たちが操り易い政権を打ち立て、それにより全ての国を経済的に乗っ取ろうとしている。日本も、やりたくもない米国との戦争に巧妙に誘導されて敗れたため、米国の奴隷となる政権のみが存在を許され、世界で最も操り易い国として骨の髄までしゃぶり尽くされた。

バブルの発生も崩壊も全て米国の意向により仕掛けられたものである。例えば1989年、三菱地所がロックフェラー・センターを約1200億円で買収したことは有名なバブル期の伝説であるが、その後のバブル崩壊により二束三文で買い戻された。これは、たっぷり肥らせた豚の「ジャパンマネー」を丸ごと巻き上げる仕掛けだった。そして今でも脱炭素の馬鹿騒ぎで徹底的に弱らせた日本企業を外資に安く売り渡し続けている。こうして日本は一貫して膨大な富を米国や英国や中国に貢ぐ「都合の良い女」の役割を果たしてきた。

日本はもうそのような奴隷的生き方をやめて「自律」できる国家として「自立」していかなければならない。目覚めた奴隷が自立しようとする時、当然、支配者からの制裁を受け、田中角栄や中川昭一、そして今回の安倍元首相のように社会的・肉体的に抹殺されることがある。そのようなグローバリズムの陰謀が確かにあると国民に周知徹底することこそ、これから茨の道を歩む神谷さんの命を守るために重要な防波堤となると信ずる。

このブログは参政党を勝手に応援するために立ち上げたものであり、その主張に沿う内容とする予定ではあるが、基本的には私がなぜ参政党に賛同するかという私自身の哲学を主張するためのものである。その哲学は参政党の主張と完全に整合するものだからこそ語りたいと思うのである。

今回は参政党がカルトではないということを強調して語った。しかし健全な宗教性は政治家にとって絶対必要な資質であるし、ゴレンジャーと呼ばれる参政党の指導者たちには確かにそれがあるから、私は期待しているのだ。ではカルトと健全な宗教性はどこが違うのか?ということを次回からは語っていきたい。

東工大電子工学科卒、電気工学修士取得
米国の神学校に留学、宗教教育修士取得

政教分離は西欧の特殊事情によるもので、
もちろん、カルトは排除されるべきだが、
政治には健全な宗教性が絶対必要である。

sanseiをフォローする
未分類
sanseiをフォローする
sansei

コメント

タイトルとURLをコピーしました