2022-12

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(4)真の喜びとは何か?

ここまで、自由は自律の喜びで平等は連帯の喜びである、ということを述べて来た。その喜びを知ることこそ、我々の人生の目的である。それは我々自身が達成すべきことであり、上から天下りで与えることは不可能であるから「神が居るなら、なぜ私は不幸なのか?」と問うのは自分自身の責任放棄であり神への責任転嫁である。
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(3)真の平等とは何か?

前回、真の自由の実現は実質的に不可能であるが、神の心を悟れば可能となると語った。真の自由が実現できない状態では、真の平等も実現できない。良く「自由と平等は矛盾するから両方を同時に実現することは論理的に不可能だ」と言われるが、これは自由と平等を権利としか考えないための誤りである。むしろ真の自由と真の平等は同じことである。
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(2)真の自由とは何か?

前回「全ての二面性は神の中にある」と言ったので、直ちに「善と悪の二面性も神の中にあるのか?」という反論が予想される。これはまさにプラトンが悩んだ問題である。しかし、善悪が具体的に現れるのは人間の自由な現実的創造の結果である。この自由の意味を先ず説明する。
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(1)真の神観とは何か?

前回、真の有神論は理論と実践であると語ったが、その実践のための力となる具体的理論を今回から語る。先ず、その流れを要約しておこう。それらは以下の四つの観点で語られる。(1)真の神観とは何か?(2)真の自由とは何か?(3)真の平等とは何か?(4)真の喜びとは何か?
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