最終解答は三段階進化論

前回までの説明で、私の進化論に対する最終解答を与える準備は整った。生物種の進化とは①先カンブリア時代における全種共通のハードウェア進化、②カンブリア大爆発以降の爆発的進化を準備するための潜在能力を蓄えた種毎専用のソフトウェア進化、③その見えない潜在能力を一気に現実化し目に見える各生物種の姿で次々と出現させた飛躍的進化、という三段階によって可能となったものである。これを三段階進化論と私は呼び、ダーウィニズムに代わる真に科学的な進化論として提唱する。以下、順次説明していこう。

①全種共通ハードウェア進化:約40億年前に発生した原始生命体が細胞核を備える単細胞真核生物に進化した。この単細胞生物の時代において既に、多細胞生物となるための遺伝子は全て準備されていた、という発見が前回述べたエボデボ革命の偉大な成果の一つである。グールドは次のように語る。

着実な進歩という古い信念に照らしてみると、初期の生命の進化ほど奇妙なものはありえないだろう。じつに長いあいだ、ほとんど何も起こらなかったのだ。…多細胞動物が最初に出現したのはカンブリア紀の爆発が起こる直前、いまからおよそ五億七〇〇〇万年前のことだった。

『ワンダフルライフ』早川書房、p.475-6

しかし、先カンブリア時代に何事も起こらなかったように見えるのは表に現れなかっただけであって、実際には無数の遺伝子を単細胞生物が蓄積するための時代だったのだ。単細胞生物の増殖は単に細胞分裂して自分自身の分身を増やすだけであるから、その分身が全滅しない限り、彼らが創造した遺伝子は永遠に不死と言って良いだろう。その結果、無数の細菌が今でも未知の有用な遺伝子を無限の資源として創造し続けている。大村智博士が、ノーベル賞の業績は「みんな微生物がやってくれた」と述懐した話は有名である。こうして単細胞生物は、全生物のための遺伝子工場という偉大な役割を果たしてきた。

自然淘汰説では「単細胞生物が多細胞生物に進化したのは、それが生存に有利だったから」と言わねばならないが、世代毎に死んで遺伝子も完全に残せない多細胞生物が不死の単細胞生物より一体どこが有利だというのか?今でも地球上で最も繁栄しているのは単細胞生物なのだから、彼らが好き好んで多細胞生物に進化しなければならない理由はどこにもない。しかるに彼らは多細胞生物に進化するために必要な遺伝子をせっせと作り続けた。多細胞動物が必要とするPTK遺伝子を持つ立襟鞭毛虫も、多細胞植物が必要とするRLK遺伝子を持つミカヅキモも、彼ら自身のためにそれらを必要としたわけではないのだ。

②種毎専用ソフトウェア進化: 約5~6億年前のカンブリア紀において、苔虫を除く全ての動物門が爆発的に出現した。この驚くべき事実は「カンブリア大爆発」と呼ばれている。これらの生物を作り上げるための遺伝子は全て先カンブリア時代のハードウェア進化で準備されていたのだから、種の違いを遺伝子の違いとして説明することはできない。各生物種のユニークな形態を準備したものは、全種共通の遺伝子の使い方を種毎に変えてそれぞれの形態を発生させる専用プログラムの進化、つまりソフトウェア進化だったのである。

グールドは、新しい種の出現を理解するためには胎児発生プログラムに注目しなければならないことに気付いた。ただし「個体発生は系統発生を繰り返す」というヘッケルの観点ではなく「進化とは先祖種の幼形に還ることだ」というネオテニーの観点においてである。これは『2001年宇宙の旅』のラストシーンに見られる赤ちゃん還りの勧めではない。そうではなくて「進化の目指す子孫種の形態は先祖種の幼形の中に既に準備されていた」ということなのだ。特にサルからヒトへの最終進化においてそのシナリオは顕著である。グールドは『ダーウィン以来』(早川書房)第7章で、例えば次のようなことを語る。

サルの幼児の足は親指が人間と同じように他の指の隣に並んでいて地上を力強く歩行するのに適している。これが大人のサルになると、親指が横に回転して手のように木の枝を掴む樹上生活に適した形に変わってしまう。これについては、日本のサル学の権威今西錦司も認めているように、チンパンジーや日本ザルの子供を観察すると顔つきも人間そっくりであり、スタスタと直立二足歩行で歩く姿も猿というより人間の方に近い。また、前回説明したように、もともと胎児の脳は急速に成長する潜在能力を持っているのに、サルは誕生直後にスイッチが切られてしまうために、ヒトのように大きな脳を持てないのである。

ゆえに「ヒトはサルを改良して進化した」のではなく「ヒトがサルの原型であり、サルはそこからデフォルメされた」のである。ここで「誰がデフォルメしたのか?」という形而上学も明確に述べたいのだが、科学が形而上学を語ることはできない。しかし事実は事実として率直に述べる権利と義務が科学者にはある。ヒトの原型は既にサルの中にあった。即ち、サルは初めからヒトとなるための潜在能力を持っているのだが、その潜在能力はサルにおいては現実化されない。それがたった一つの小さな遺伝子スイッチの突然変異によって現実化されるだけで、ヒトが飛躍的に誕生するという現象が可能となるのである。

③潜在能力を現実化する飛躍的進化:チンパンジーとヒトのDNAが99%同じであることは良く知られている。従って、残り1%の中に人類進化の秘密はある。この部分には新しい遺伝子があるわけではなく、ヒトとなるための遺伝子スイッチが存在するということが明らかになりつつある。K・S・ポラードの研究によれば、ヒトとチンパンジーの間で最も大きく異なっている部分HAR1は、大脳皮質の皺を増やすための遺伝子スイッチで、二番目に大きく異なっている部分HAR2は、人間独自の器用な手を作り出す遺伝子スイッチである。このような遺伝子スイッチの存在は今後もどんどん明らかになるだろう。

ヒトの直接の先祖であった原人のDNAは調べようがないが、チンパンジーよりさらにヒトに近いことは確かで、あとたった一つの遺伝子スイッチが完成すればヒトになれるほどのものであったと想像できるし、実際それ以外のシナリオは有り得ないだろう。そして、原人のDNAの中の上記1%の領域の中でHAR1やHAR2が完成した時点で、それらをまとめてオンにする大元締めの遺伝子スイッチΩを想定することができる。その上で、ある原人の夫婦が子供を受胎した時に、その遺伝子スイッチΩを完成させる最後の小さな突然変異が起きたとすれば、その子はヒトとして生まれることができる。

ただし、いきなり交配不可能な別種の子供を産んでしまうと、その子供の結婚相手がいないという問題がある。これについては、遺伝子スイッチΩを完成させた突然変異が劣性であったと考えれば良い。この場合、一代目の子供は全員(片親だけからΩを受け継いだ)ヘテロ接合なのでまだΩが働かず原人のままであるが、次世代以降の一組以上の夫婦で偶然ホモ接合となった(つまり、両親からΩを受け継いだ)子供が同時多発的に生まれた時、その子供達だけスイッチが入ってヒトとなることができる。こうして初めから原人とは交配不可能な人類始祖として複数の子供達が生まれれば、彼らは自然に疎外されて別社会を形成せざるを得ない。そして、自発的に新しい環境への出エジプトが起きるのである。

今回はここまでとしよう。現代人を洗脳しているダーウィニズムの数多の大嘘に対して言いたいことは山ほどあるが、これ以上の批判はいつかまた語ることにして、次回は、私と創造論者の根本的違いを説明し、神と科学の和解について語りたい。私の立場は創造論ではなく、いかなるカルトでもない。ここまで語った進化のシナリオは全て科学的知見であり、創造論者のように神が超自然的な力で生命を創ったなどとは私は一言も言っていない。神は「偶然」を利用して進化を導かれた。この立場は科学と完全に両立できるのである。

東工大電子工学科卒、電気工学修士取得
米国の神学校に留学、宗教教育修士取得

政教分離は西欧の特殊事情によるもので、
もちろん、カルトは排除されるべきだが、
政治には健全な宗教性が絶対必要である。

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